子どもの頃、川や田園風景に囲まれて育ったわたしにとって、”遊び = 自然” でした。
虫捕りに、川遊び、泥団子あそび…
どれも、楽しくて日が暮れるまで夢中になって遊んでいました。
ところがいまは、家はモノ(おもちゃ)で溢れかえり、地面はアスファルトで塗り固められ、どこの家庭にもあたりまえのようにインターネット環境が整っています。
“自分の幼少期のような生活を息子にも”なんて気持ちは、一切ありません。
しかし、なんでも手に入るこの時代に、どう立ち向かい、どう子育てをしていくのか。
まだ自ら、判断できない 0〜3歳の子どもたちにとって、親がしっかり「子どもの遊びかた」を考え向き合い、導いていかなくてはいけないと思います。
目次
– 0歳〈五感の大切さ〉
– 1歳〈自然に触れ、親は子どもを見守る〉
– 2歳〈なにもないところから自ら遊びを見いだす〉
-3歳 〈生き物の「命」について教える〉
-“ほっておかれる” と子どもは伸びる
0歳〈五感の大切さ〉
五感(ごかん)とは視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚をさします。
現在はヒトの感覚は5つ以上あることがわかっていますが、細かく分類すれば20余りあるそうです。
触覚、痛覚、温度覚、深部覚(圧覚、位置覚、振動覚など)、皮質性感覚(二点識別覚、立体識別能力など)そして、感覚には内臓感覚、平衡感覚などさまざまな感覚存在します。
まだ、寝返りやハイハイすらできない赤ちゃん(0歳)にもしっかりと五感が備わっています。
ずっと家の中で仰向になり天井を眺めたり、テレビの光をみたり…
もし、自分だったらどうでしょう?
すごくつまらないですし、毎日同じだとうんざりした気持ちになります、それに全く疲れていなければ寝つきも悪くなりますし、いい睡眠をとることができません。
なにより刺激のない毎日を過ごすことになってしまいます。
息子が0歳のときの日課は散歩でした。
ただの散歩ではありません。
抱っこ紐からおろして、寝かせ2人で空や雲見上げ、葉っぱが風で揺れてる様や音を目と耳から感じ、緑の匂いを鼻から感じながら時間を過ごしました。
↑生後4ヶ月
↑公園では土を肌で感じたり
家では、新聞をぐしゃぐしゃに丸めたり、ペットと触れ合ったり、本を読み聞かせたりと息子が笑顔になってくれることを考えながら過ごしていました。
なにより “高い高い” 大好きで、たくさんしていました。(平衡感覚に役立つといいなと思いながら)
1歳〈自然に触れ、子どもを見守る〉
日本には「春夏秋冬」があることを伝えはじめました。
春 : 「花」の可憐さ、香り、見た目から伝わってくる優しさについて話し、触るときは指でツンツンと優しくねと伝えました。
夏 : 水を全身で感じてほしいと、たくさん水浴びの機会をつくりました。
秋 : 足で枯葉を踏んだ時の音、手で触ったときの感触をたくさん感じました。
冬 : はじめて雪に触れました。
1歳になり歩けるようになると、急に行動範囲が広がり、自ら興味があるものに歩み寄り「触ってみたい!」という好奇心がでてきます。
ひとりで歩けるようになったら親は、なるべく一歩下がって見守り、注意をしなくてはいけない時だけ口を出すのが一番だと思います。
なにかにつけて「だめよ」といわれては、子どもの好奇心を奪いかねません。
転倒しても、大丈夫そうなら一歩下がって見守っていればいいと思います。
そして、泣かずに立ち上がった時に「さずが!強いね!」「泣かないなんてかっこいい!」と声をかければ多少のことなら我慢できる子になります。
冷たい親だなと思うかもしれませんが理由があります。
毎回駆け寄っていたら、”本当に痛い” ときがわからないですし、すぐ泣く子になってしまうかもしれません。
それに、子どもが1歳ぐらいのときは「よしよし」と優しくしておいて、歳を重ねたときに「こんなことで泣かないの!お兄さんでしょ。」などと言うほうが、わたしは冷酷だと思いますし、子どもも戸惑ってしまうと思うからです。
自然の中(公園)で、子ども自ら興味をもつものを見つけ、それを全身で感じる。
そして、親はそれを一歩下がって見守る。
これこそが、子どもにとっての『自立への第一歩』に繋がると私は考えています。
2歳〈なにもないところから自ら遊びを見いだす〉
公園にある遊具や砂場はもちろん、体の成長や脳育にはかかせないものです。
それと同じくらい私が意識したことがあります。
「なにもない自然の中で子どもを遊ばせること」
です。
自然のなかでの遊びは、いつでも季節感と連動しています。
春には花を観察し、夏の大雨のあとは、草むらにいるカエルを捕まえ、秋にはたくさんのドングリ拾いや落ち葉拾いをしました。
↑拾った葉っぱで王冠を作りました
公園とは違い、自然の中ではすることもないので、遊び道具も遊び方もすべて自分で考えて行動・工夫しないとなにも得ることができません。
このとき「自立への第一歩」と思い1歳の頃にはじめた、一歩下がって見守るというかとが成果を発揮しはじめました。
1人でなにもない場所にほっておいても、自ら遊びを見出し、何時間も仮想世界で夢中になって遊んでいられるようになったのです。
それからは、親はなにもせず、ただ見守るだけの時間が増えてきました。
3歳 〈生き物の「命」について教える〉
2歳の頃から興味をもちはじめた「生き物」
3歳になり興味はヒートアップし、見つけるなりなんでも素手で捕まえ、じっくり観察し楽しんでいました。
公園には季節のポケット図鑑を持っていき調べたり、写真に撮りそれを見ながら家で絵を描いたりもしました。
蟻、ダンゴムシ、てんとう虫、バッタ、アメンボ、サワガニ、セミ…
さまざまな生き物と触れ合いました。
それにともない、自然の中には危険な生き物もいることや、実際に飼育してみたりしながら「命」の大切を教えました。
「虫は苦手!」という方は比較的多いのではないでしょうか。
実はわたしも大の苦手です。
しかし、子どもの前ではどんな生き物に対しても子どもと一緒に「かわいいね」と共感し「不思議だね」と観察するよう努力しています。
世間一般に気持ち悪いと言われる生き物であっても、純粋な心をもつ子どもの目から見るイメージを大切にしたかったからです。
今では親子で「ファーブル昆虫記」のような生活を送っています。
“ほっておかれる” と子どもは伸びる
親にとって我が子は可愛く、かけがえのない存在です。
しかし、いつか必ず自立しなければいけない日がやってきます。
その日に向け0歳のときから少しずつ自立の準備を進めていけば、お互いに親離れ子離れを気持ちよくできると思います。
そしてそれは勉強にも関係してくると思います。
自然の中で遊ばせ、ほっておくことで「思考力」「観察力」が身に付き、不思議に思うことで「考察力」もつきます。
このことは、子供の自立と脳の発達につながることです。
幼児教育が盛んな現代、塾に通い、そこで与えられたカリキュラムを受動的にこなすこともひとつの能力だと思います。
しかし将来、学校を卒業し仕事についたら、能動的に努力し、工夫して行動することが求められます。
幼児期に “ほっておかれる” ことで自分で、頭を使い創意工夫をすることが身についき、そしてこれが、脳の発達に有効なのではないかとわたしは考えています。
さらに、この何かを得るために創意工夫する力は将来必ず役立つと信じています。
読んでいただきありがとうございます。
グッと堪えることも親の役目ですね(´ー`)
何でも口出ししてしまいがちですが、そこはグッと堪えて自立に向けて放置するのも大切ですね☆
こんにちは、コメントありがとうございます^^
共感していただけて嬉しいです!
「宝物」ほんとうに、そうですね。お金では買えない宝物です(*´-`)
便利な世の中、考えなくても、向こうから楽しませてくれるおもちゃ。
それが当たり前の社会となってきましたが、小さい頃、五感を働かせ、自らの手足を使って沢山の体験をすること、とても大事ですよね。
私も子供の頃、土や植物、自然に触れたり虫や動物とふれあった体験、宝物のように感じます